2017/03/21

ルールは基本的にできない人間のためにあることを忘れてはいけない

ボイストレーナーの浜渦です。

「ルールは基本的にできない人間のためにある」

…こういうと、いろいろな反論が聞こえてきそうですが、音楽家、美術家、俳優さんなど、またそれを目指す方には是非お聞きいただきたいと思います。

ルールは基本的にできない人間のためにあることを忘れてはいけない、と言ったものの、
ある事象について、できない人の割合が100%に近い場合もあるでしょう。

昨今、道徳や善行、正義までもがルール化されていることに気づかなくてはなりません。

ルールの中でできることに安心しては成長はないのです。
…だからルールを守ってることが偉い、ということはおかしなことなのです。

「ルールがないとめちゃくちゃになってしまうだろ!」

もちろん、その通りです。
ただルールをなくすだけでは無法地帯になるだけです。

ルールを必要としない人間になるには高潔な人間を目指さねばならないのです。

ルールを持たずに生きるために必要なもの、それこそが高い道徳とプライド、
あるいは神の存在なのかもしれません。
(私は無宗教ですが…)

それでもやはり人間は完璧でない。
だからルールを作るのは必要だと思います。
私などルールがなければあっという間に破綻するでしょう。

しかし、ルールはできないが故にあることを忘れないこと。
本当はお互いに成長する中で、ずっと変化し続け、そしてやがてはなくすことを目指すことを忘れてはならないのです。


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2017/03/02

ニセモノの一流より、三流でも「本物」を目指したい。

ボイストレーナーの浜渦です。

沢山拍手を貰いながら、本物を知る人に陰で笑われていることは良くあります。
一方、閑古鳥が鳴くステージで拍手もまばらながら、
本物を知る人に「良かった」と言われることもあります。

どちらが良いとも言えません。
しかし、後者の方が嬉しく前者を恥ずかしいと思う人も多いはずです。
たくさん拍手をもらった前者はもしかすると、ニセモノの一流であり、
全く売れなくてでも、本物に認められた後者は本物の二流、あるいは三流かもしれません。

本物を求めると儲からないことも多いのです。

もちろん、本物で一般受けもすればなお良いとは思います。
でも、私は思うのです。
みんなが本物で
その中で優劣や人気者や不人気者、上手い下手があったって、
そんなものどうでも良いじゃないかと思うのです。

超一流、一流、二流、三流、いろいろあれど、みんな本物。

そんな世界を目指したいのです。

今の世の中はどうでしょうか?
うまくやったものが一流だとすれば、それは本物でしょうか。

本物の一流はその数は限りなく少なく、
超一流になれば、探してもなかなか見つからないレベルのはず。

私はレッスンで、ただでるだけの高い声や、
うまく「聞こえる」方法を教えないというのはこういうところにその意図があります。

本物であれば、その才能やレベルにかかわらず、
個性あふれるそれぞれの表現は必ずできます。

私は上手いことを否定しているわけでも、技術を否定しているわけでもありません。
それらは素敵なこと。
しかし、それらを隠れ蓑にして、
本質を失えば、表現とは一体なんなのだろうかと・・・

この閉塞した世の中。
声を出す職業に限らず、あらゆる職種の方と一緒に、
本物とは何かを考えていきたいと思います。
私は、本物とは、包み隠さず自分の実力をそれ以上に見せることも、
それ以下に見せるような卑屈なこともせずにありのままに生きることだと思います。
それは孤独でいつ食いっぱぐれるようなことになるかわからない生き方かもしれません。
・・・しかし、だからこそ、人は助け合うのではないでしょうか?

今日も、好きなことを書かせていただきました。。。


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2017/02/28

枠組みに嵌るな。壁を作るな

ボイストレーナーの浜渦です。

今の世の中はあらゆることに壁や枠組みをを感じます。
その壁のなかで生きられるものの中でだけ優劣がきまる…だから変革が起こらない。

日本のホワイトカラーの生産性が著しく低いのはこういうところにも、
その理由があるのかなと思います。
残業にウンザリしながら、生産性の低さは棚に上げてしまう…
しかし、この層が社会の枠組みやステータスを作ってしまっているのかと疑わずにもおれません。
…彼らは「真のリーダーシップがないからだ」とのたまう。

そんなんじゃ何も変わらねぇよ、と。

強いリーダシップは中小企業の大将こそ必要でしょう。
大企業のホワイトカラー層こそ、
本当は自営業者としての個人のリーダシップが必要だとおもうのは私だけでしょうか?

…かといって若者もそういう枠組みに抵抗せず、その枠組みから外れないように保守的になっているように思います。
(それを人生の先輩方の多くは責める権利はないでしょう)

ニコロ・マキアヴェッリは以下のように述べています。

「困難な時代には、真の力量を備えた人物が活躍するが、太平の世の中では、財の豊かな者や門閥に支えられた者がわが世の春を謳歌することになる。真に優れた大人物は、国家が太平を謳歌している時代には、得てして冷遇されるものなのだ。」

現代は困難な時代とされているようで、まさにこれだと思います。
どこかで守り守られる壁、枠。

そんな社会が作った枠から漏れたり、
その枠の中では活躍できないようなひとがたくさんいるように思うのです。
才能をくすぶらせているひとが。

芸術も似たようなものです。
声楽の世界も、ジャズの世界も枠組みだらけ。
ボイトレの世界ですら枠を作ろうとする。
枠のおかげで、芸術にはあってはならない、
「何級とか何段」とかがうまれ、勝手にヒエラルキーが作られ、個性を失い、
芸術っぽいもの、声楽っぽいもの、ジャズ風など、雰囲気の世界に堕してしまい、
本物からは離れてしまいかねません。

なるほど、その中では上手い人もたくさんいるし、テクニックもある人も多いし、
枠のおかげでむちゃくちゃひどい人は排除もされるかもしれません。

しかし、その枠組みの中だけの話で、
下手な人からはスゴイと思われつつ、
「本物を持つ人」からは、心の中で笑われているかも知れない。
…そうだとしたら、こんなに恥ずかしいことはない…

たくさん拍手をもらっても「本物のひと」から笑われるなら、
どんなに下手でも「おもろい表現してるな」
というのがスジだと思うのです。

私は、みんながプライドやステイタスや生まれや貧富の差や宗教観や主義主張の差や壁や囲いを捨てて、
こころから楽しく表現ができる世界を夢見て、無力なりにこれまでやってきました。
みんなが本当の、人間らしい表現ができれば、上手いかろうが下手だろうが、そのひと自身もみんなも喜び合えるはずだと信じてきたからです。
もしみなさんが本当の表現をしたいなら、
枠にとらわれない本当の生き方をしないといけないでしょう。
もし枠の中にあったら、その中で、本質を見失わない努力が必要でしょう。
身体を開き真ん中に息を通し、何があってもこれを貫くこと。
自分を開いてバランスを取ること。

それができないで、腹式呼吸や鼻腔共鳴やミックスボイスが何の役にたつでしょうか?

好き勝手書いてごめんなさい…


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2016/12/16

「誤魔化さずに生きること」について

ボイストレーナーの浜渦です。

ちゃんと生きるってなんでしょう?

「ちゃんと生きるために就職」したのか、
それとも、
「就職することで、生きることを誤魔化している」のか?

「生活をするためのお金を得ることがちゃんと生きること」なのか、
「ちゃんと生きることがたまたまお金になる仕事」つまり、
ちゃんと生きてたらお金は後からついてきたから生活できていたり、逆にお金がついてこなかったから衣食住、物質的な豊かさはないけれど…なのか?

どれが正しいとかは言えませんし、
結局、本人が生きたいように生きるしかないのですが、
世の中の「ちゃんと」と、自分の「ちゃんと」が大きくズレている人は少なくないのではないでしょうか?

そもそも、世の中の「ちゃんと」ってのもだれが決めたのか、怪しいものなのですが、
当然それについていけなかったり、
誤魔化せなかったり、自分の「ちゃんと」を偽れなかったひとは、
たとえ仕事ができようが、人間関係をそれなりにこなせようが、

「なぜ!?」

という、壁、そのごく当たり前の壁
にぶち当たってしまうでしょう。

世間的には「ちゃんと」生きてるけど、
「それが何になる?」
「どうせ年取って死ぬんだろ?」
「それを娯楽や趣味で埋め合わせたら誤魔化しの上塗りだろう」
…そんな風に思ってしまうかもしれません。

みなさんも「仕事へ行きたくない」と思うことがあると思います。
私もしょっちゅう思う!(生徒さんごめん)。
ただ、
「仕事へ行きたくない」「やりたくない」と思っているままレッスンをすることはできないのです。
なぜなら、
それじゃ私のメソッドのレッスンは成立しないからです。
レッスンはこなすものでも、正解や正論を伝えるだけの場では絶対ないと信じていますから。
つまり良い息をしないと、
「声を出したい」「素晴らしい呼吸にしてあげたい」とは絶対に思えないのです。

つまり、ちゃんと生きないとその先がないのです。

私が仕事へ行きたくなるということはちゃんと呼吸をして、ちゃんと生きてること。

そこに睡眠時間やお金は関係ないん…だなぁ。
ちゃんと生きていれば、どんな不安もお金がなくて大変でも、無敵な気分になれますが、

逆に、ちゃんと生きてないと途端に、
「あんないい家に住みやがって」
「あんないい車に乗りやがって」
なんてカスみたいなことを本気で思う(笑)

どちらも同じ私なのです。
でもそんなカスにはなりたくない(笑)
だから、私が選んだこの、
「仕事に行きたい」と思わないと成立しない仕事は、

私にとって、
天職であり、
ゴウモンでもあり、
至福であり、地獄。
仕事であり、趣味、
死を眼前に感じることであり、
まさに生きる実感そのもの。


私は経営の才覚はゼロのようですから、いろいろ大変ですが、
いい人生を自分で選べたかなあ?
とは思うのです。

それが、就職であっても、ボイストレーナーであっても、農家であっても、八百屋さんであっても、
…(社会から見たら)破滅であっても、良いはずだと思うのです。

自分の人生を生きていけたら。
これが私と私の生徒さん、できればすべてのひとに願うことです。




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2016/11/20

芸術は生きること。そして誰もが出来、高尚ではないもの

ボイストレーナーの浜渦です。
久しぶりに言いたいこと言います…


芸術は経済や政治的安定の中でやるものか?

否。芸術は生死のまず最初にあるもの。
そしてそれはまったく大したことのないもの。
高尚なものでもなんでもない。

自分の生死のと向かい合う中で、創り、歌い、踊り生まれる誰もができるもの。
下手上手いは関係ない。

経済や政治はその後だ。
それらがどうでも良いと言っているのではない。
順番の問題。

果たして私たちは今を生死と向きあって生きているだろうか?、
時にニヒリズムに苦しみながらも生きているだろうか?

自分の生き死にから目をそらすために働いてはいないか?
それが経済活動だとしたら、順番が違うというわけだ。
そういう「働くこと」は、例えばギャンブルに溺れることを単純に否定できるか?
(肯定しているのではありません。念の為)

真面目であるということは、自分の生き死に真摯に向き合ってこそだと思う。
空気を読んで、周りによく思われるために尽くすなんてのは、
真面目なようで、生きることに真面目ではないのではないか。

我々は、自分自身の人生を生きているのだ。
そして生と死はひつとでは成り立たない。
その両極の引っ張り合いのバランスがあって初めて成立する。
そのせめぎ合いこそ、生きることであり、芸術そのものなのかもしれない。




思いつきでわーわー書きました。
すんません!





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2016/08/21

人生の「喜び」と「幅」

ボイストレーナーの浜渦です。
お久しぶりです。
ようやく関西レッスンから戻ってきました!
関西は灼熱地獄でした…

さて、私がえらそうなことを言える立場ではありませんが、

人生の「喜び」は気の合う奴と沢山付き合うこと。
人生の「幅」は、気の合わない奴とも沢山付き合うこと…。


ボイストレーナーをやっていると多種多様な人間に出会います。
その話し方や、息の質やスピード、強さなどから、その人の性格や、どういうレッスンが良いかはだいたいわかるようになってきました。
その結果、リアルに出会って苦手なひと、というのはほとんどないなくなったように思います。

日本人は特にかもしれませんが、
同じ意見や主義主張の者だけが集まってしまう傾向にあるように思います。
違うものに対しては、
シャットアウト。
対話はないのに見えないところで悪口合戦。

もっともらしく、
「君がそうならそれでいいじゃないの。だけどこっちには来ないでください。」
なんて排除する。

確かに意見の合うもの同士で盛り上がるのは楽しく、まさに生きる喜びを感じる時でもあります。
しかし、それだけでは、何とも混ざらない、
「幅のない人間」になりはしまいか?

音楽だっていろんなジャンルがあるから楽しい。
どのジャンルが良い悪いはない。
もちろん好き嫌いはある。
でも、聞いてみる、やってみる。
それはきっと自分の専門に生きてくるはずです。


まったく反対の意見や、まったく違う角度をもつ意見のものと言葉を交わし、気持ちを通わせることで、幅が広がり、
自分らしさや、個性も豊かになるのだと思います。

同じ意見の者だけが集まっていると、逆に疑心暗鬼、妄信的になってしまうかもしれません。
そしてある日、急にまったく正反対の意見にみんな揃って変わってしまったりする。
「我々は騙されていた」などと言って…

…と、これこそ私の妄想かもしれませんね。
しかし、音楽や、相手を受け入れる、受け入れて貰える呼吸や声は、きっとみなさんの幅を広げる一助になると信じている私ではあるのです。

さて、関西から戻り、久々に息子(中1)といろいろ話せました…。
写真にかすかに映る自転車がそうです。とても綺麗な夕陽ですが、明日は台風直撃…
みなさん用心いたしましょう!







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2016/05/13

「躁鬱」は表現の必須項目です(facebook記事)

ボイストレーナーの浜渦です。
…躁鬱、なんて言いますと「すわ病気」と捉えられタブー視されてしまいます。
これは表現活動、つまりひとが生きて行くには必須のものであり、精神科医にまかせておけばいい問題ではない…
その観点にたって、誤解を招くかもしれませんが、facebookの自分のタイムラインに書かせていただきました...
お読みいただければ幸いです。



…タブーと思いつつ書きましたが、ご理解あるコメントをいただいています。
よろしければコメントもお読みいただければ幸甚に存じます。


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2015/11/27

排除しない。分かち合うのが音楽。

ボイストレーナーの浜渦です。

自分と違うものを排除しない。
垣根を作らない。

音楽をやっているなら、だれでもそうだと信じたい。

でなければ、ただ音楽が好きなだけか、
音楽に利用されているだけじゃないか・・・

本気で表現ができなくなったら老人だ。
そして決まってその老人は言う。

「それは理想だ」
「子供じみている」
「音楽なんかやっているからわからないんだ」

それは真実は一つと思い込み、体を使わず、凝り固まった頭をを信じて、
自分で感動を生み出せない老人の言うことだ。
全人間的に生きないと、どうしたってそっちへ向かう。

老人といっても年齢は関係ない。
90でも100でも若い人もいれば、
年齢的には若くても、どうしようもない老人もいる。

私も、その間で揺れ動く。

表現というのはものがわかる、ということではない。
わからないことがわかる、ということだ。
表現というのは絶対感なのだから。
その前には正義や悪という比較はない。
正義は悪の前には悪でしかない。
知識はその前提の上で大いに役に立つ。

絶対的に全人間的に生きなければ、どうしたって、
他人と比較してしか生きられなくなる。
そこで正義や悪、はたまた出自や職業が問題になり、
個性を出すはずのファッションも誰かと比較しての個性となる。

さあ、覚悟を決めよう。
「誰かに比べて自分らしく」でなく「人間らしく」
「誰かより」でなく「唯一の」
「論破」より「納得を」
「頭」より「カラダを」

それを禁欲で誤魔化さない。
ルールやマナーは大切だけれど、それを守ることで誤魔化さない。
人の思想を正すことで誤魔化さない。。。


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2015/11/14

相手が救われない「正義」は信用しない

救いの手を差し伸べる悪人もたくさんいることを忘れたくない。

善人で、正義感もあるが、救いの手を出さないひともいる。
救いの手とはお金や物質的なものではない。
相手の思いが救われるかだ。

私は前者と付き合いたい。
そしてその救いの手を差し伸べてくれた悪人に、今度は救いの手を差し伸べたい。

だから私は、相手が救われない「正義」は信用しない。たとえそれが、私と「同じ正義」だとしても。

正義を盾にするとき、一番必要なのは、
相手が救われるか。
また逃げ道を断たないこと。
そういう相手とは、
違う主義・主張であれ、
信じるものがまったくちがっても、
ずっと友でいられると思う。

きれいごとと思われるかもしれないけれど、芸術の絶対感は、それを可能にしてくれると信じている。
価値観や主義主張を超えて…

だから音楽は自分のためにやるだけでも、相手を喜ばすためにやるだけでもダメなんです。


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2015/09/23

お花畑でいいじゃないか

理想を追いつづけることが「お花畑」なら、
私はお花畑を立派に育てて行きたい。

別に歌い手だろうが、会社員だろうが、
だれだってそれは同じじゃないか?

ただし、理想を自分の仕事や本分の中で追う。
反対意見や賛成意見さえも、
自分の生活、生き様で見せて行こう。

その瞬間、イベントのように立ち上がったって世の中は動かない。

その瞬間のヒステリックなエネルギーは、賛成だろうが反対だろうが、世の中を動かさない。
刹那なエネルギーは、その意見がどうあれ、瞬間湯沸かし器でしかない。
針がどちらにふれようと、危険だ。
それは賛成反対とも同じく熱しやすく冷めやすい同じ人種だから。

安保法案。
賛成も反対も、
ずっとそういう意見でした、じゃだめなんですよ、きっと。そういう運動をしてきましたじゃだめなんです。
それまでの人生、仕事、生活でそれをしめしてきたかが大切だと思うのです。

大震災で、刹那に立ち上がり、そして忘れていく残酷さを何度繰り返すのか…
困っている人は震災の前から、もっと近くにもいなかったか?

それなら、大したことはできなくても、
歌い手なら自分の歌で、示す。
ボイストレーナーなら、
「世の中が平和になるような呼吸と声」を追い続ける。どんなにバカにされてもです。
「何カッコつけてんだよ」って言われても。
他のどの生き方だってそうじゃないか?
私は自分の仕事でそれを体現し続けたい。

それがお花畑というのなら、
絶やさず肥料を与え、水をやり、
自分だけの花を、どんな意見の人が見てもなっとくするような花を咲かせてみたい。

刹那に、ヒステリックに立ち上がる。
一方何もせずただそれを冷ややかに、また同じくヒステリックに非難する。
これじゃ、何も変わりませんて。
立ち上がるのはもちろん悪くないですを
それを、多くの人が自分の生活や仕事というスタイル、生き方で、示していくことこそ、世の中を変えていくのだと思うのです。


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