2012/01/29

下手でいいという理由…もう上手いか下手、なんて土俵は降りよう

上手いか下手。
それはいままでにあった何かとの比較でしかない。
そんな土俵はもう降りましょう。

たとえ下手であっても「下手であること気にされない」声を出せばいいんです。
上手くやろうとしていたら下手がばれるんです。

上手くやろうとなんかしていない?
下手でいいとおもってやっている?
そういう方もいると思いますが、
敢えていいます。

それもダメです
下手でもいいですが、
下手でいい、と思ってはいけません。
何も思わない。
それはまだ上手い下手の土俵にいる。
上手いか下手かというのは誰かとの比較でしかないと思います。
それじゃあ、オリジナルは生まれない。

ただ、息が、でてるなあ。
ついでに声が出ているなあ…
それだけ。
そうすれば、こころが見えてくる。
嬉しいとか悲しい、以前の。
だって人は「上手い」ではなく、
「こころ」が欲しいんですから。
そして歌うとき、セリフを言うときは、一生懸命表現する。こころで。
声と息がひどくても無視して。

その為には呼吸と声を独立して無意識的意識のうちにうごかされなければなりません。

いまそれを具体的な方法で生徒さんにやってもらっています。
できたときの顔。
ナチュラルなんだけど、感動しているのがわかる、そんな顔。。。

自分でも本当、変わったトレーナーだと思います(笑)
かつて自分はうまくなければ!
とがんじからめになっていました。
それが、よかったのかな?

最近、他のトレーナーの方からも参考にしていただいていると、大変嬉しいお言葉をいただくようになりました。

次世代のトレーナーも育てたいな…

おこがましいかな?
ではまたです。

※転載される場合はご一報くださればありがたいです♪


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2012/01/27

オリジナルな感情と魂の解放

大切なのは…「こんな気持ち」どんな?嬉しい?哀しい?…いや「こんな」気持ち。それができればオリジナル
昨日facebookの方にここまで書きました。

どうすれば「こんな気持ち」になれるか。魂が解放された「こんな気持ち」
ヒントはたくさんありますし、
昨日もこれをテーマにレッスンをたくさんしました。

いつも「その瞬間」をつかんだときの生徒さんの顔が忘れられません。
特に明るくも、そして暗くもない、
別に嬉しそうなわけじゃない。

なにか知らなかったものに出会ったような、驚きと喜びと安らぎが混じったような…
…つまりは自然な顔。
その人だけが持つ、オリジナルな感情が、そこにはあるのです。

昨日は私のお父さんくらいの年齢の方にも実践していただきましたが、
私もその、
声と、呼吸が独立しその狭間で歌う、
彼に感動させられてしまいました。

その独立の仕方を覚えればいいのです。
これは、文章だけでは到底説明できないし、
でも、根性論でも、抽象的なはなしでもない。
とても、具体的なんです。

ああ、今日はここまで…うまく書けなくてごめんなさい。

ヒントといえば・・・
歩くような呼吸、遠くから聴こえる声。それをその間で感じている自分・・・

また次回です。


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2012/01/26

答え(音程)が正しくても「計算式」を間違えたらだめなのです。「音痴の人に良い声の人が多い」わけ

呼吸と声の関係は重要なのはいうまでもありませんが、
そのバランスが最重要となります。

例えば高い声を出すとします。

A.力強い呼気×力の抜けたのど=正しい音程
B.弱い呼気×力の抜けたのど=目標の音程に届かない、または出ない
C.弱い呼気×力を入れたのど=正しい音程

かなり抽象的(?)な表現で申し訳ありませんが(詳しくはレッスンで)、
問題はAとCが同じ答えである、ということ。
正しい音程を出している点ではどちらも耳が良いのかもしれませんが、
結果は当然Aの方が力強く、しかも楽に聞こえ、Cは聞いている方も辛くなります…

このCが曲者なんです。
答えはあっていても式が違う。

「5つのお皿にみかんが3つずつのっています。みかんは全部でいくつでしょう?」
答えは簡単♪そう15こ。
式は
「5×3」……ではなく、
「3×5」ですね。
なにが何個?という問題ですから、
答えがあっていてもだめなわけです。

Cは、耳の良さが仇となって、式を間違っているわけです。
真面目な方や、スグに結果を欲しがる方が陥りやすいですね。
音痴なヒトは、実は無理をしないために正しい音程まで届かない、
というタイプが多いのです。
(もちろん、その限りではありません)
ただし、Cも喉の力が邪魔になり、上ずったり、ぶら下がったりします。頭の中の音程と少し違う音が出ていても気づかないのです。また気づいても力が邪魔で直せない。

ですから、まずはBを目指す必要があります。
音程が届かないのがわかっていてあえて、喉に負担をかけないために答えを間違える。
そこで呼吸の「数」つまり方向性や力強さ(具体的な方法はここでは書ききれないので書きません)
の方を増やすことで、答えを合わさなければならないのです。

ここに書いてあるものはわかりやすい例で、もちろんありとあらゆるパターンがありますので、
しっかり自分の状態を捉えられるようにしましょう。


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2012/01/25

気になる声とは…

おはようございます。
「気になる声を出す」
これは大切なことですね。
言っている内容が気になる、のではなく、
言っている「人そのもの」が「どういう人間」かが気になるような声、です。
「気に障る」ではありませんw
それは突き出しても、引っ込めてもだめで、
ありのままそこにあればいいのです。
でも、そこにあってもだれも気づきません。
だから、その前後(さらに上下左右)にある殻を取り払わなければならない。
殻を破るとはこのことかも知れませんね♪
殻にとじこもったまま、前だけに突っ走れば、
これは「破れかぶれ」というか「自滅」ですね。
そうすると、多くの人は
「自己顕示欲だけ強いな」と思うかも知れませんし、
あるいは講師の方に、
「君は出したがりだ」
なんて言われてしまうかもしれませんよ…(^^)


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2012/01/24

声帯が立派で、呼吸ができているのにダメな人も多いんです。

歩きながら考え事をすることってありますよね。
そのとき「歩き方」は考えないと思います。
頭の中では、今日の会議のことを考えているのに、
足はちゃんと駅へ向かってあるいている。
もちろん本当は「頭の片隅で」考えているわけですが、
それがメインではない。
もはや頭が意識を持って制御しているわけではないのかもしれません。

そのまま、ボイストレーニングにも当てはまると思うのです。

「身体は開いてこころをありのままに見せるべく、呼吸をする。」
これが「歩く」に相当します。

頭はそれをどこかで感じながら、
実際声を出す。

身体を、つまり呼吸は無意識的意識のうちに。
(もちろん最初は歩き方を学びます)
頭はしっかり意識をもって。

これが真面目な人ほど、歩き方ばかり考えたり(右手と右足が同時に上がる人とかたまーにいますよね(^^;;)

歩くのと考えるのが同時であったり、

また、多いのが、考えるだけ、で歩かない…!
考えが先だとなかなか足が前に行かない。
こんな人は大抵喉がつまります。
つまりロクに呼吸しないから、
少ない弱い息を喉をしめて集めようとする。

歩くことも、考えることもできる、
でも両方一緒にはできない人。
歩くだけか、考えるだけ。
これも実は多い。
素晴らしい腹式呼吸と、良い声帯。
でもバラバラでは意味がない。

どんなに素晴らしい声帯を持っていても、歩かなければ意味がないのです。

その辺りも具体的にレッスンで考えていただいています。

精神と身体のコントロール。
なんかボイトレじゃないみたい!?
いや、これこそ!です♪


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2012/01/22

この業界にいて思うこと「営利目的」と「非営利目的」

私もこの業界の末席にいるわけですが、
なにか非常にあいまいなのが「営利目的」と「非営利目的」

いろいろ調べてもどうもハッキリしない。

「社会貢献」としてのコンサートなどのイベントを企画したとします。
とする。

ここで公民館や公会堂を借りようとすると・・・
「営利目的ですか?」
とかなりの確率で聞かれる。
(安いところは特に)

ここで対応が分かれます。

「入場料1円でも取ったらOUT」

…もちろん、イベントをやろうとすると、どんなに上手くやっても
交通費や印刷代などがかかってくる…
が、そんなものお構いなしに…「NO!!」
不思議なことに、そのホールを運営している人たちは、
幾らかは知らないがお金をもらっているはずだ。

しかし、それは「営利目的」ではないという。
そして企画側は大赤字でも営利目的だと・・・


ホールの運営は非営利団体に委託されていたりするが、
その人達の報酬以下の「黒字」でもダメだし、
赤字だろうが「入場料はダメ」となる場合も多い。

そのイベントにゲストを呼ぶこともあろう。
ここでも

「出演者が外部の方なら「謝礼のために」入場料をとっても良いが、
出演者が企画者本人であったり、本人の関わる団体ならNG」

これにも抜け道がある場合もあって
「他の誰かが企画したことにしておいてあなたが出演し、入場料から謝礼を出すのはOK」

つまり自分で企画したらOUT!!ってことです。
またホール自体に呼んでもらった場合はOK・・・

何だこりゃ?

ごめんなさい。
きっとトンチンカンなことを書いているのでしょうね(^^;)

しかし、どうも、社会貢献で個人がメシを食おうとすると、
エライ横槍が入るのはまちがいなさそうです。

「なんだ、社会貢献とかいっておいて金をとるのか!!」

そりゃあ、生活したいですから…
社会貢献度が高いほど稼いではダメで、社会貢献度が低いほど稼いで良いわけでもなかろうに。

結局
エンターテインメント性を高めて高い入場料を取るか、
タダでやって貧困生活にあえぐか。

タダでやる、というのはいいように聴こえて、ある意味究極のダンピングでもあるわけです。
お金持ちしかできない・・・オペラ団体のチケットノルマのようです。

こう書くと
「実力でTOPになればいいじゃないか、下手なんだろ?だから食えないんだろ」
と言われかねません。

たしかに一理あります。
しかしそれをそっくり認めてしまうと
「一部のTOPクラスと下手でもお金持ちだけがOK」の世界になってしまいます。
それでもいいと思われる方もいるかも知れませんが、
健全なピラミッドは構築されないでしょう。

一方、ホールさん側から
「もっと入場料取らないと、経費も出せないでしょう」
と、提案してくれるところも増えつつあるようです。

つまり、
「経費をペイして、人並みの時給分くらいは収入があってしかるべき」
という意見です。
ありがたい話です。
というか、
入場料ででた黒字を株主に分配するわけでもなんでもないので、
そのくらいは当たり前じゃないかとも思ったりもするのですが・・・

このあたりの定義をはっきりさせておいてほしいと思うのです。
「非営利の皮をかぶった営利狼」も出てくるかもしれないので、疑い深くなっているのかもしれませんが・・・
担当者の方もよくわかっていない場合が多く、
「じゃあ、我々が営利目的かどうか審査してくれ」
といってもしてくれるわけがない。

現状、担当者と仲良くなるしかない・・・のか?
(もちろん賄賂とかじゃないですよ。仲良くなると、本気で社会貢献をしようとしているかとか、
経費がどれくらいかかるのかとか、企画して講演することがどれだけ大変かがわかってもらえる)
これも気を付けないと、
仲間のよしみになりかねない。

役所側も
「なんであの団体は非営利でウチは営利目的あつかいなのよ!!」
と言われかねない。

ああ、グダグダになってきた。
頭悪いのにこんなこと書かなかったら良かった(^^;)
でもせっかく書いたから・・・UPします(*´ω`*)







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2012/01/15

クロスオーバーな声を・・・伝わる声。クラシカルでもポップでもない、普通の声。

私はもともとクラシックの歌い手でしたが、
そのうちになんでもオールジャンルを指導できるよう、研究を始めました。
ポップスを指導し始めたとき、
迷いに迷い、やっと分かったなと思った頃、
今度はクラシックのやり方が分からなくなってしまいました。
そして、近年やっと、
その両方が正しく、
そして、両方ともをミックスしたクロスオーバーな声作り、
というものにたどり着きました。

これだけ書いてたら
「それぐらい気付けよ」
って感じですが、実際体感して分かるのに苦労したようです^^;

ポップスの軽さと、クラシックの広がりを併せ持つ声。
あくまで息は軽く、そして重心は重い。

この軽さと重さが拮抗し続け、
その間にあるもの。

それが「伝わる何か」であると。
そのクラシックでもポップスでもない声、
それは・・・

「普通の声!!」

といっても誰よりも伝わる普通の声。

これを多くの人に伝えて行きたいと思います。
軽さだけに頼るとある程度高い声もでます大きい声も出ます。
重さだけに頼ると、ある程度高い声も大きい声も出ます。

でもそれはニセモノかもしれない。
その両方が喧嘩すると、身体ははちきれそうになる。
そんな命の賭け方

やっとしっかり伝えられるようになった気がします。

皆様、今後とも宜しくお願いします!!


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2012/01/09

01/08のツイートまとめ

h_hamauzu

ひとはやらなきゃいけないことが増えすぎると、何から手をつけていいかわからなくなり、、、ヒマになるw
01-08 19:57

ブログ更新しました「ブログやツイッターの炎上を見て思い出した岡本太郎さんの言葉 」http://t.co/7DgdEyuI
01-08 08:40



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2012/01/08

ブログやツイッターの炎上を見て思い出した岡本太郎さんの言葉

「僕の場合は、常に相手を生かそうとして発言している。相手をやっつけてやろうとか、だめにしてしまおうとして、攻撃したことはない。そんなことは微塵も思ったことがない」
岡本太郎

そうありたい。でなければ、日頃認められない自分の鬱憤を晴らしていると思われかねないしね…

「自分には悪いことはできない、なんていい気になっていると、悪人以上に害悪をまきちらすかもしれないよ」
岡本太郎

これも当てはまるような気がしますね。
正義を盾にとるより、自分が匿名で(匿名でなくても大勢の賛同者がいる前提なら同じ)集団の波に乗じて叩く行為が
「善意」の行為かを考えた方が、
豊かに生きらられると思います。
批判は悪いことではないけど、
丁寧な発言と愛情をもった提案の方が、
お互い生きてくると思うのです。


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2012/01/08

01/07のツイートまとめ

h_hamauzu

好きなものに「明確な理由」のあるものっていずれ飽きるのかな?なんて思う。例えば好きな人だって「キレイだから」とか「優しい」からでなく、「好きだから好き」というのが、一番魅力的だと思う。
01-07 19:03



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2012/01/07

01/06のツイートまとめ

h_hamauzu

お誕生日でしたのね。私の2日前・・・いまさらながら、おめでとうございます~@minaimeruat
01-06 16:38

父・浜渦章盛(実兄 浜渦正志がダイアリーに記した亡き父・章盛の人物像について) http://t.co/GCpeqrb6
01-06 08:18

父の指定席であったこの場所で http://t.co/1InzWO22
01-06 08:18

さあ、レッスン頑張るよ。 親愛なる生徒の皆さん、燃え上がりましょう♪
01-06 08:13



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2012/01/06

父の指定席であったこの場所で

私も父の死後、あまり父について書かなかったけど、ちょっと書きたくなりました。
すごい父だったけど、身内があんまりすごいすごいといっても茶番みたいだし、という理由で。
伝説の番長グループ等の話しは、前回の兄に譲り、今日はなんとなく書き綴ったものを・・・


階段の下に並べられた母のスリッパ。
築30年を経ても色あせない父がデザインした家。
私が今いる実家の台所には5つのドアがある。
勝手口、洗面・風呂場、居間、玄関、そしてピアノのある応接間。
ピアニストであり、子育てやお客の対応に忙しく、
そしてお風呂が好きな母のために父が設計したものだ。
昼間はここから母が各方面に忙しく動き回る。
ところが夜中になると「大ネズミ」と呼ばれた父がこの場所を陣取る。
何かパンかおまんじゅうはないか?
または創作料理に精を出す。
ときに「母のとっておきのパンに手を出し」怒られる。
大ネズミたる所以だ。
そしてひたすら書き物をする父。
もう目が見えなくなっても最後まで続けた母への一方通行の交換日記。
すべて「絵」で書かれた交換日記。
もはや母にしか解読できなかった日記。
その台所の「大ネズミの指定席」に、その主はもういない。
代わりに私が居座り、これを書いている。
父のいない初めてのお正月。
私は喘息で苦しんだ。
でもそれについては見えない親父にさきほど座禅の中でいろいろとアドバイスをいただいた。
「絶望的に、にっこりと。大きく包め」と。
「しかし決して悲劇のヒーローになるのではない。笑い飛ばせ」
「…それはボクにもできなかったことかもしれんけどな(笑)」
等々。
やはり父は私の中にいる。
それは「降りてくる」なんてものでない。
降りては来ない。いないのだから。
一生の同志、生涯の友。
目がだんだん見えなくなって来たときも、
「このままでええ。これでええんや」と笑っていた父。
最後まで絶頂期であった父。
兄の言うように、前後左右・どんな宗教の人間とも、
広く深くつきあっていた父。
民主主義でも社会主義でもない、人間主義であった父。
自分の運命から逃げず、英雄の出現に頼らずに、自己を全うし、
またそういう人間ならどんなイデオロギーの人間でも、
真摯に向き合っていた父(当然喧嘩もいっぱいしながら)。
結局弱い立場の人間を放っておけなかった、ただそれだけかもしれない、そんな父。
やはり、さようならは…いいません。
代わりに

今日もよろしく!!




これからも折に触れて備忘録的に書くかもしれません。
いきなりテレビ・ラジオに出て、急にやめた訳等。皆さんには興味の無い話しだとは思いますが^^;
お許しを・・・


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2012/01/04

01/03のツイートまとめ

h_hamauzu

昨年末原くんと兄と飲んでからまだモヤモヤ継続中・・・ トレーナーの立場なんてくそくらえだ〜(笑)
01-03 20:16

今年はカッコつけずに自分に正直にいきたいなあ…好きなものは好き。そう思った衝動は止めずに突っ走ってみよう。後先は考えずに。嫌われたっていいじゃないか
01-03 17:59

年末最終レッスン以来、ずっと気管支がおかしい。ここぞとばかり調子が悪くなる…レッスン開始までに直さねば…
01-03 17:56



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2012/01/02

父・浜渦章盛(実兄 浜渦正志がダイアリーに記した亡き父・章盛の人物像について)

みなさまあけましておめでとうございます!
・・・新年から何ですが、昨年他界した父について・・・
私の実兄である浜渦正志が自身のホームページのダイアリー(2011/12/31分)に記した
「父・浜渦章盛」を転載します。私も読んでみて、「ああ、オモロイおっさんやったなあ」と改めて思いました。
兄のホームページには写真(父の若かりし頃と最近の写真)もありますのでご興味のある方はどうぞ♪
http://monomusik.com/diary.html




父・浜渦章盛
2011.12.31
8月14日、父が他界した。私はかつて一度インタビューで父のことを語ったことはあったが、以来極力やらないようにしてきた。私には好きな音楽家や思想家は多数いるが、どうにも表現できないほど超越した存在として尊敬していたのが父だった。他人に父について語る時、どうにも真意が伝わらない。いくら「いや、ほんますごいんやて」と言っても家族のことだし、そもそも私がだらしない人間なので説得力がない。ただ唯一、最も無難な方法として、あまり語らないようにしようと思った。しかし今後のことを心配してくださる人もいるし、なんやかや考えて今年最後に少しだけ書くことにした。

私利私欲とは全く無縁、いつも弱い人のところに行っていた。語り出すと何時間でも聞いてしまうほど雄弁であった。一体どこで身に付けたのか、声、歌唱、解釈、演技、指導、作曲、演出、ピアノ、絵がまさに天才的であり、何より大衆的だった。なのにそれらの才能を自分のために使うことはほとんどせず、また興味も示さず、やはり毎日どこかで弱い者のためにそれらを適当に、しかし実に巧妙に組み合わせ、そして大胆に使っていた。すごいスポーツマンだった。近年はケンカは避けていたが、滅法強く、負けた噂を聞いたことがなかった。ボクシングのスパーリングでプロを倒してしまい、それで音楽家を選ぶような優しい人だった。音楽を誰でも楽しめるようにと無料のコンサートを35年以上も主催してきた。ブラックホールのような求心力があり、家には色んな職業、立場、民族、年齢、イデオロギーの人が毎日のように来ていた。しかも偏っていない。右から左から上から下から極度に広い。私も目の当たりにしてきたが、思えば大変な経験をさせてもらったと思う。満州から引き上げてきたときに栄養失調になり、心臓や目を煩っていた。小学生のときは一人暮らしや施設での生活を強いられたこともあった。それでも屈折どころか、成り上がることもしなく、やはり誰かのために奔走してた。10年近く前に全盲になり一級の障害者になったが、全く臆することも無く人の目を見てバリバリ語り、動き、牽引するので、初対面の人は言われるまで気づかなくて驚く。病院でも診察室の椅子まで普通に歩いて来たので、医者も目を診察してから、文字通り目を疑い「よく準備(失明するまでの訓練)されましたね」といたく感嘆していたとか。私が幼少の頃はラジオやテレビでパーソナリティをやっていて、街を歩くとすぐに声をかけられるほどの有名人だったが、突如それらを辞して次の目標へ移った。国からの表彰の機会があったが、あまり気に入らなかった上、表彰式でわざわざ上京することに「表彰する気があるなら向こうが来るべきやろう」と辞退するような人だった(そういえば経済学者だった母方の祖父も国からの表彰を辞退していたが、私の家族は異端ばかりのようだ)。ある日、父の指導する少年少女合唱団に、当時で言うツッパリのニイチャンが何人も並んで座っていた。一体どこでつかまえてきたのか、街の札付きの不良中学生グループだった。練習中、当時小学生だった私に一人が近づいて言った。ビビる私の耳元で「今…どこ歌ってんの?」「…あ、このへん…」。そんなある日「あいつらはこんなところに出入りしてるのか」と、練習中に学校の教師軍団がドヤドヤと乗り込んできたことがあった。父は子供たちの目につかないところに彼らを連れて行き、こう言って追い返したそうだ。「彼らは今、私の生徒なんですよ。あの子らはシューベルトとかモーツァルトとか、高級~な芸術をやっとるんですわ。あんたらのような下品な教師の来るところではないんです。練習の邪魔です、お帰り下さい!」。グループのリーダーが放課後体育館で先生を殴って倒してしまい、退学寸前になったときも、教育委員会でかように語った。「仕掛けて来たのは先生のほうで、○○君は授業中だからと放課後にしましょうと言ったんですよね。この時点で彼の方が大人です。そして自分で申し込んだ決闘にのこのこ出て行って負けた。あなたがケンカに弱かった、ただそれだけのことです」と。退学は免れた。またある日、彼らから相談があった。卒業に際し「学校にお礼参りをさせてください」と。今でこそほとんど聞かれないが、卒業式の後に学校に対して暴れるなど色々を仕返しをするというものだ。父はこれに対し「そんなことしたら、またお前らが悪者になるだけや」と策を与えた。卒業式当日、彼らは「お礼参りじゃあ!」と大きなスコップを持って校内を走り回った。「ほら来よった!」と警察に連絡する学校側。しかし警察が到着する頃にはそのスコップを使って校庭の隅をグループが掘り返してる。「記念植樹」をしていたのだ。…と、この一連の話だけでも書ききれないし、聞ききれてない話が多すぎる。要するにそれくらい面白い父だった。

私と弟はその背中を見て学んできたが、得られたのは「このオッサンには何をしても勝てない、ましてや同じ音楽という職業でなんぞ」というものだった。だから小学生のときの将来の目標は「音楽家以外」だった。また私は幼少時代から非常に内向的な性質で、こんなのがあの親の息子かと思われたくないところもあったため、いつもクラスの隅で黙っているような子どもだった。父と正反対のキャラと自覚していたので、人前に出るような仕事は無縁だと思っていたのもある。しかし…気づくと私も弟も音楽の道を進んでいた。合唱団での父の指導も見事過ぎた。私は3部コーラスでセカンドを長くやっていたのだが、そこで和声の面白さに(学問としては理解していないが)ハマってしまったのも大きい。父の選曲と編曲もまた見事だったのだ。好きになってしまったのは仕方がないので、せめて音楽のどこか一部分だけでも父を超えられるようにしようと思った。そして「おう、なかなかやるやないか」と言われるくらいにしたい、と。結局私は何一つ敵わないままだったが、思ったよりはがんばったらしい。病床の父に「お前、うまいことやったやないか(笑)」と褒めてもらった。そして最後の最後、息を引き取る直前まで、もうウケるほど父はカッコよく振る舞って逝った。父を近くで40年も見続けられたことを幸せに思うし、度肝を抜かれるような武勇伝の数々は人に伝えたくて仕方が無い。しかしもうこれ以上やりすぎると「幽霊!六甲で!マジ見たんやて!」くらいな感じになりそうので、これくらいで抑えておこうと思う。ただ浜渦正志はいい曲を書くとか、ちょっとオカシイやつだとか評価してくださる人がおられるならば、私はYMOだのバッハだの言ってはきたが、実のところはこの父の影響が大半であると認識していただいていいと思う。そしてトロくて運動神経が鈍い私が手づかみで魚とりが出来るのも、この父のおかげだと。

父の壮絶で面白すぎる半生の話を聞くたびに、私はいつも母に訊いていた。「なんでああなんやろ?」と。何故自分の得たものを、何の得にもならない対象に流し続けていたのか。本当に不思議で仕方が無かったのだが、私が30歳を過ぎた頃にようやく。「そういうのが好きなんや…!(笑)」と。別に「誰にも知られず…」みたいにヒロイックに振る舞いたい願望があるわけでもなんでもない。ただ単に本能がそうさせている。母はとっくに解っていたらしい。どうにもならない嗜好の問題。これが父という人物を作り上げていたのだ。そして今私は自分を見て、父に及びようがないと思いつつも、己の極端な嗜好にしか興味がいかないところがとても似ていると思うようになった。そんな私がフリーになったということがどれだけヤバいことか、父の死後あちこちから根本的な性格や考えはそっくりと言われるようにもなったし、不安と楽しみの気持ちで一杯の大晦日です(笑)。

最後に父がお世話になった方へ、長い間ありがとうございました。今後は長男として父の団体に関わっていくことがあると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。



自分の父のことを(父だからこそ)あまり多く語らなかった兄が、
今後のことも考えて記したもののようです。
転載の許可はもらっております。


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