2012/12/31

芸術とは人間。人間とは両極端を表せるすばらしいもの。

今年最後の更新となります。
ツマラナイブログですが、
お付き合い頂いた方々にこころより感謝申し上げます!

躊躇なく絶望と絶頂を体現できる事。
そしてそれらを両方同時に持ちながら、
その双方向に引っ張り合いをする中で表現をする。

この一年生徒の皆さんと学び、笑い合う中で、再確認できました。
そしてそれは決して精神論に終わらず、
論理をもって伝えられ、
みなさんにも再現できる事も!

これは芸術に限らず、生きる事そのものだと思います。
とかく右に左に触れやすい世の中。
ただ真ん中をそつなくこなすのは、
世間的にはバランス感覚がよくても、
絶対につまらない。
0点と100点を同時にとり続けるような、
そんな豊かな人生を、芸術をみなさまにお届けしたいと思います。
すごくおこがましい事をいっているかな^^;
でも今年最後くらいいいか!
(毎回おこがましいかもしれませんが…^^;;;;;;)

来年もともに「人間(=芸術)」に取り組みましょう!!!!

今年も本当にありがとうございました!!!!!!!!


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2012/12/27

声が最高の楽器と思えるもう一つの理由

声はもっとも平等に近い楽器である。
これがまず第一です。
もうひとつはそれ自体のすばらしさ。
これについて書いたものを…



誤解を恐れずに言えば、
すべての楽器は無表情である。
声と言う楽器もしかり。
しかしそれは、
明暗、硬軟、あらゆる両極なものから生まれた無表情なのだ。

それは喜怒哀楽とはまったくべつのものである。
その無表情な中で、無表情を放棄せず、
喜怒哀楽を表現する。
できる。

声は最高の楽器だと思う所以である。
身体の中に、表情から生まれた無表情と、無表情からうまれた表情があるのだから。


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2012/12/24

「心」の感情と「楽器」の感情・・・

おはようございます。

楽しい、
明るい、
切ない、悲しい、
狂おしい。。。

というような「心の感情」が豊かであってもそれだけではだめなんですね。
これだけでは表現したいものがあるのに、できない。
時には「おまえは感情がたりない」なんて言われてしまったり、
「感情だけでやるな」と言われたり・・・どっちやねんなと。

もう一個「楽器の感情」というものが必要なんです。
それはほとんどず~っと一定、というか、
あらゆる邪魔に動かされないように耐えぬいた結果の「一定」
それをぼくは楽器の感情と呼ぶことにします。
そしてそれが必要な楽器が「こえ」なんです
その2種類の感情を別々に、
でも協力しながら、ときに綱引きしながらコントロールする。

でも、常に一定であるべき楽器の感情は、
心の感情の変化と一緒に変化してしまったりします。
我々は楽器が身体に内蔵されている、というかそのものですからね。

2つの感情を操らなければならない、
いや、その機会を与えられた唯一無二の楽器
「声」に感謝したいと思います。

また、その声を出せる身体に、五体満足に生まれられた奇跡に感謝しつつ、
それを裏切らないようにしたいと思います。

さて、具体的に楽器の感情って何のことかといいますと・・・
それは、、、また、、、というこことで♪
ただ、楽器の感情にこそ、
「躊躇の無さ」が求められるということは言えると思います


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2012/12/14

声という楽器だけに求められる「ある緊張感、情熱」

ご存知の通り、
声という楽器は特殊です。
共鳴する箱そのものを自分で作らなければなりません。
さらに、
それを共鳴させるための弦であったり、
例えば太鼓で言えば、ピンと張りつめた皮面。
それを支える鋲や紐など、
声の場合は当たり前ですが、自前です。

私の言う情熱は、どんなに激しく打ち鳴らされても、
へこまない、その皮の面を持ち続けながら声も出すのだと言う事です。
その部分は他の楽器は基本的には要りません
(誤解を生みそうな表現ですが・・・)
皮面の質の良さ、
それをピンと張りつめる張力、それを支える鋲、
そし実際になる胴体の部分。
それを声に例えたら、
どれがどの部分かを考えてみるのも面白いと思います。

私たちは自分の身体が楽器とは良くしりながらも、
「叩く事」に執心しがちです。
その結果、巧くできなかったときに、
楽器自身まで緩めてしまう。
太鼓やピアノやヴァイオリンは、奏者が失敗しても、楽器自身はその存在をやめません。
たとえ「鳴らなくとも」
そのフォーム、つまりは「楽器そのものの緊張感」
を持ち続ける事の方が、人の心をずっと打つ歌や話し方になると思うのです。

その楽器の緊張感を支える情熱。

これは怒り狂いながらもなんとか自分を抑えて、
平静を保とうとしている人は上手にできてますよね(笑)

つまりは対極のものが必要だと思うのです。

暗闇を表現したければ、全く影のできない、太陽が真上にあるような状態をしる。

僕は表現とはその「せめぎ合い」だと思っています。

どちらかに振り切ってしまってもダメんなですね。

右にいたら全員右に、左へ行ったらみんな左へ…
なんか危険ですよねw


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2012/12/06

突き抜けたい人に…レッスンより

皆様こんばんは。突っ走って好きな事書かせて頂いていますが、
今日も…レッスンの中で出てきた言葉。



本当に落ち込んだ暗さと、本当に突き抜けた明るさを、
「演技ではなく」表現できるか。
つまりはその状態になれるか。
そしてその両方の状態を同時に感じつつ、綱引きをする。
これは「演技」である

優しさを表現したい人は、
「優しくない人」を表現できないといけない。
そうでないと、
「いいひとのいい歌」で終わってしまう。
常に反対側を出せるようにしよう。
例えば「明るさ」は「暗さ」を知らないと出せなかったりする。

誰もがお寒くなるようなかっこわるいハイテンションをやる
誰もが嫌になるようなローテンションをやる。
ガラがどうだとか、性格がどうなんて、動物なら気にしないはずだ。
その幅の広さを持って、鬩ぎあう。
つまり「普通」を表現したければ、
「0」と「100」を同時に出して、
その平均を感じてもらえばいい。

嫌なヤツを「やれる」、バカを「やれる」
そんな嫌なヤツの土俵を知る。
そしてその構造を知ってその反対側を知ろう。
ただ単に込めて歌っていい歌なら、
見守られてしまう。
見守られるってことは、お客さんの方がずっと上ってこと。
パンチのある感動はない。

戸惑い、躊躇というのは計算があるからだ。
計算をやめるか、
またその計算を活かして
「計算をもって戸惑いを振り払う」



とまあ、自分でかいてて耳がいや目が痛くなるような内容ですね^^;
でも不言実行より、有言不実行の方が潔いと思うタチなんで。。。お許しを

ただ、単なる精神論ではありません・・・?
なにせ
声=呼吸=気持ち・・・ですから。

どうしたって理論と結びついてしまうところはあります






↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2012/12/03

ハイテンションとローテンションの狭間に生まれる自然な声

突き抜けたハイテンションの感情で歌うか。
身体の奥底のうなだれたような、最底辺から起こすように歌うか。
それともその真ん中で歌うか。

僕は突き抜けた「バカ」とも言える、見ていて恥ずかしいような、
「イェ~イ!!コマネチ!!(ふる…)」
なんてやるような、やりきるような、恥ずかしさに気づく前にやってしまうようなハイテンションと、
うなだれ、すでにため息すら困難な、息をただしているだけのような、ただ生きているのがやっとのようなローテンション。

その「両方」を同時に、瞬間に感じながら、いや惹かれあいながら、
いや、反発し綱引きしながら、
その真ん中あたりで歌い、セリフを発して欲しいと思うのです。基本的には。
ときにハイテンション側にひっぱりあげられ、
ときにローテンション側に引きずられながら。

どん底と突き抜けた天。
その両方を感じながらまっすぐ出すことによって、
初めて感動的な自然が生まれると思うのです。
一見50点という、
100と0の間からこぼれ出たから普通に見えるというそんな声。
その引っ張りあいのなかに「肉体」が「楽器」があるんです。

その引っぱり合いにより、身体は動き出す。

踊り…
声は踊りでもある!

これこそが自然でいて感動的なんだと信じています。

でも…不自然で普通の声というのが大勢を占めている…?

ハイテンションの方がどうも皆さん苦手なようです。
ローテンションは「まあまあ」くらいで。

「そんなキャラじゃない」とか言って。何が邪魔しているのかを考え、
取り去りましょうよ♪

そうでないと、がんばっても

「普通とややローテンションの間から生まれた声」になってしまう。

それではやはり、感動は生まれない。

これは実はただの精神論なんかではないんです。
それができるための、
身体を作るための、
ボイトレをやるんです♪

もちろんハイテンションなだけではダメなんです。
最初から真ん中を狙ったらもう、
芸術ですらないんです。

芸術ですらないのに、いい声だったら…大問題!?

※今日も吠えました…
あくまで私個人の考え方です。
お許しください…


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2012/12/01

「ため」をつくる

声を出す前の「ため」

他の楽器ですと、これが案外自動的にできたりします。
それは楽器が身体の外にあるために、
その楽器と自分の手や呼吸、弓がどう融合するかが、
比較的に感じやすいというところもあるのではないでしょうか?
つまり「ため」そのものも目に見えやすいし、
実際「ため」がないとミスタッチ連発…?

一方、声。

楽器の方の自由度はどの楽器よりも広く、いわば無限大。
しかし、身体の内部にあるため、
想像がしにくく、さらに声帯を動かす筋肉は、
他の色んな筋肉と密接に関わっていて、
思うように動かすのは大変。
第一、ちゃんと動いているのかそうでないのかもよくわからない。

ちゃんと動いていないのはわかる?
それは声がイマイチだからそうなんだろう、、、という想像ですよね^^;
どのように「ちゃんと動いていないのかが」わかり辛い訳です。

さてこの「ため」
声を出すためにはもっとも重要なポイントの一つ。
その「ため」に表現が詰め込まれる訳です。

そして「ため」たまま声に移行できるか、「ため」たまま声が終われるか。
これは大変難しいのです。
それができないと、
「どんなに表現したいものがあっても出て来ない」のです。
そうすると、

「お前には気持ちが足りない」
などと言われたり・・・ショックですよね。

実際、他の楽器では表現力豊かに演奏できるのに
歌「だけは」ダメ。
という人はゴマンといるのです。

僕はその辺りをオタクのごとく研究し続けている訳です(笑)


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking