2015/03/29

ヴォーカル レセプション Part 36 が開催されました

私が関西でレッスンをさせていただいておりますのは、
尼崎の「ローゼンビート」です。
ここは私の両親が創設した音楽であふれた場所。
私達兄弟のルーツでもあります。

今日はそのローゼンビートで声楽を学ぶ生徒さん達の歌の祭典
「ヴォーカル レセプション」が尼崎・ピッコロシアターで開催されました。
(ピッコロシアターは演劇に詳しい方はご存知かもしれませんね♪)
毎回2部構成で、50〜60名超の生徒さんが出演されます。

私はポップス・ロック等のヴォーカル、声優さん俳優さん、またナレーション、一般の方まで、
多くのジャンルを指導させていただいていますが、クラシックの声楽もその一つです。

ともすると特殊とされがちな「声楽」ですが、
より分かりやすく、楽しく汗をかいて、
レッスンが終ったときには、
「笑顔」と「なるほど」をお持ち帰りいただけるよう心掛けています。

ここ数回は特に、ただ良い声で正しく歌うのではなく、
より豊かな、生徒さん一人一人オリジナルの「表現」が出来て来たように思います。
そして私の目指す「表現が美しい響きや言葉の流れを導く」事を、
生徒さんが証明してくださっていると思うと、嬉しくて仕方が有りません。

いろいろなジャンルをレッスンさせていただいている事。
これは私にとってとても大きな力になっています。
見えない声の「なぜ、なにを、どのように____」
どんな生徒さんにも、明確な方法論を提示しできる講師になるべく、ボイストレーナーのなった私ですが、
少しずつ、その夢に近づいているような、そんな豊かな気持ちです。

しかし、私は音大の教授のような権威を持っている訳では有りません。
つまらないレッスンをすればたちまち生徒さんはいなくなってしまいます。
一回一回のレッスンが勝負だと肝に銘じ、これからも頑張ります。
どうぞよろしくお願いします。

※5月には東京で、声楽「以外」の生徒さんの発表会ライブを開催します♪



↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2015/03/27

頭でわかって、身体で実践して、身について、やっとこさ本当にわかる。

頭でわかって、身体で実践して、身について、やっとこさ本当にわかる。
つまりレッスンとはいつも「後付け」なんです。できるようになった後にわかるんです。
ところが、声は見えませんから、どうしても以下のように分かれがちです。

1.根性論
2.システムの説明のみ
3.技術>基礎

1.最初から「気持ちが足りない」とか「練習が足りない」と言っても生徒が逃げ出さないのは、もはや音楽大学くらいかもしれません。根性というか精神論ですね。
では「根性がいらないか?」と言われれば、「登場がもっと後」と言えばいいでしょうか。やり方がわかって、この練習が正しいと思った時にどこまで自分を追い込めるか。それとも、疲れそうになったらすぐにやめるか、ここは根性かもしれません(笑)

2.は、筋肉の種類やシステム、どうなったら良いのか、の説明「だけ」で、では「どうすればその筋肉が動くのか、使えるようになるのか」という「方法論」はない。方法論のところになると「先生が声を出して見本」を見せる。いきなり論理が抜けてしまうわけです。

3.が最もまずいです・・・「タングロール」や「リップロール」などばかりやって「今ある大したことのない実力を、声帯の柔らかさや、呼吸のバランスをとることによってのみ」まとめてしまう方法です。これは、高音が出るようになったり、ミックスボイスができるようになったりしますが「感動はナシ」という場合が多いのです。こうなるとそもそも何のために声を出していたかわからなくなります。

1.は声楽など伝統のある現場に。2.は結構いろんな現場で見かけられます。3.は、現在のボイトレ業界に多く見受けられます。

整理しなければならないのは
まず「なんのために声を出すのか、歌うのか」
それは「表現のためである。」
では「何をもって表現するのか」
それは「呼吸である」
なぜ?「呼吸に気持ちが表れるから」
じゃあ「気持ちがより表れる呼吸をしよう」
でも「でもどうやって?」

その「ついで」に声を出すんです。
なぜ「声を出すの?」

「自分を含めてより多くの人に『気持ち』や『生き方』を伝えるため」

こうやって系統立てて目的と手段を常にはっきりさせながらレッスンすることで、生徒さんは腑に落ちて「やるべきこと」「目指すもの」「今どの段階か」がわかるのです。
そういうトレーニングをしていると自ずと、1.2.3.の本当の必要性がわかってきます。技術もいる、根性も時には、身体のシステムを「自分のイメージで」理解する。

音程や歌詞も同じです。
しかし多くの人が
「良い声」「正しい音程」「正しい発音」が
「目的」にすり替わっています。

レッスンも同じくです。そうなるとそもそもの前提がおかしくなるのです。


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2015/03/24

「自然に生きている自負」がある人ほど無理している?

徒然なるままに。

友人との会話より。
『・・・僕が一番信頼を得られないと感じる相手は「私は自然に生きている」って自負しているひとですね。声や歌を聞けば、自然に生きているというより、「自然に憧れているんだろうなあ」というのがわかるんですが、そういう方のプライドを守るのが一番難しいです』

自然を意識する、自然でありたい、いや自然でなければならない。
それが、人の悪口は言わない、私には悪いことはできない、反自然的なものへの憎悪。というふうに、極端になり、もがいてしまっている人は多いかなと。
逆にちょっとストレートな意見や本質をついたことを言われるとアレルギーを起こしてしまう。そういう相手をシャットアウトしてしまう。
そして相手を傷つけていることには気づかない。傷ついているのは常に「自分」であって相手ではない。

歌なんかやっていると、自然を不自然に追っているひとが多いなと感じます。
単純なわけですが、すぐに近寄ってきて、すぐに離れていくタイプもこういう方が多いように思います。私は善人でもなんでもない。ただ自分の気持ちをストレートに出せる呼吸、それを声に乗せて膨らませることを論理的に伝えています。
それは結構「生きることそのものを感じざるを得ない、楽しいですが厳しいもの」です。
個性や自然に憧れる前に、人間らしさ、人間としての矛盾に対峙する必要があるんです。
とても寂しく、孤独なもの。
仲間がいようといまいと。

声は呼吸。つまりそれは生きるシステムそのものを反映しています。
練習も大切だけど、一番大切なのは生きるシステムとしての呼吸を体全体で変えることだと思います。
呼吸にその人の気持ちや生き方があらわれます。
その主義主張はどうでもいい。ストレートに表現できるかです。
時に悪口言ったっていいじゃないか。人間だもの。
度が過ぎなきゃいいじゃない。
でも、ちゃんと表現している呼吸で。

そして何か言われても言われなくても、相手をブロックしたり、シャットアウトしないこと。
自分にとっての心地よい「自然」だけ追わないこと。
私はボイストレーナーという職業を通じて、
自然とは何かとか、単なる心地よさを伝える気はありません。
想いを伝える方法を私の研究した範囲でお伝えしています。
その行為自体は或いは自然なことかもしれないし、そうでないかもしれない。

ストレートに自分出し合える世の中。
それに耳を傾け合える世の中。
そんなのがいいなあと思います。

どんなに正しい意見も、うつくしさの前にはどうしたってかなわない。
私はそう思っています。

トレーナーとしては失格の意見かもしれないけれど。
徒然なるままに書かせていただきました。


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2015/03/15

本日より関西レッスン始まりました

本日より関西出張レッスンが始まりました。

生徒さんの中には、
「どの先生にも同じ指摘をされるが、一体どうすればいいのかはなかなかわからない。」
こういう方が多いのです。

その方法論を提示するのが私の仕事です。クラシックやポップス、声優・俳優さん等、ジャンルを問わない「表現のための呼吸法と発声法」を研究してきた成果かなと、少し自負しております♪

声は見えませんから、どうしても欠点の指摘に終わりがちです。
そんな慣習を覆し、的確な方法論を示すことのできるよう、精進してきたつもりです。
それが私がトレーナーになった一番の動機でもあり、誇りでもあります。

講師も成長しなければなりません。
私を信頼くださる生徒さんやスタッフの方々のためにも。。。

一ヶ月後、半年後には、今よりももっとわかりやすく、
私のところへ来れば「すべてが解決する」と思っていただけるよう、精進いたします。

明日からもどうぞよろしくお願いいたします!


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2015/03/09

「自己啓発」が胡散臭く聞こえてしまう理由

ちょっといやらしいタイトルをつけてしまいましたが、
自己啓発というと、なんとなく胡散臭いと感じる方は多いと思います。
私もそのひとりです…

「自分自身」とは、
精神も頭脳はもちろんですが、身体のすべて、関節や筋肉、内臓、そして呼吸などすべてであると思います。
そう考えれば、「自分を変える」ということが、いかにラクでないかはわかってきます。
「決意」と「覚悟」さえ決めてしまえば、「簡単」ではあるかも知れませんが、
その道のりは、決して「ラクではない」でしょう。

ところが、その「ホンの一部」に過ぎない精神的なもの、「考え方」を変えたら、生まれ変わった気になってしまう人は多いのではないでしょうか。
考え方を変えるのは、自分自身を変えるスタートラインとしては必要かと思います。
しかし身体や価値観はほとんどまだ何も変わっていない。なのにそこからの努力はしない。
なぜならそこから先はシンドイからです。

もちろん、そんな「その気」の「魔法」はすぐにとけてしまいます。
そして「これではなかった」とばかりに次のものに飛びつく。

「魔法の」響く言葉の選択に必死になったり、
「魔法の」感じの良い服を必死に探したり、
「魔法の」表情の勉強をしたり…

そんな自分をメッキするようなこと繰り返すのは悲しいじゃないですか?…
そしてそういうものやそうセミナーはとても高くついてしまいます。
より高い次元の生き方を目指すはずの自己啓発に、流行りも廃りもないはずです。
魔法はいつかとけます。その時一番傷つくのは自分自身です。
たとえ魔法がとけなくても、メッキ加工は、本質がわかるひとから見ればあっという間に見破られるでしょう。

でも、自分全体を変えれば、言葉や表情、服のセンスだって自然に変わってくるでしょう。
服の方から「これを着て」って合わせてくるかもしれません。
自分の事が頭だけでなく全体的にわかってきた証拠でしょう。
そういう自分全体を感じることこそ生きてる実感ではないでしょうか?

私が呼吸にこだわるのは、そういうわけです。
呼吸のシステムを変えることは、身体のマネジメントすること。
自分自身を変えるということ。
生きるシステムを変えることなんです。

…そうすると、精神的なものは後からついてくる。
でもこれも腹式呼吸ができれば、なんて単純なものではありません。
寝ているときは人は大抵腹式呼吸。
それ自体は簡単なものです。
本当に気持ちを、自分を表現できるような呼吸は身体全体を使います。
使えば良いのではなく、バランス感覚が非常に重要です。
五感も使います。そしてそれらが融合して生まれる声の魅力に私は取り憑かれています。
とても身も心の頭脳も疲れます。でも「ああ、生きてるんだな」そう思えるのです。

身体全体から見ればちっぽけな精神・頭脳に、支配されすぎてはいませんか?
自己啓発とは、ラクに生きるためにあるのではありません。そういうものは、自己啓発からもっとも離れている。
ではシンドイ目にあえば自己啓発?
それも、違います。

生きていること自体にその実感を感じること。
そういう、全人間的な、有る意味苦しいとも言える生き方を模索することだとおもいます。

変わった気になるのはもうやめにしませんか?ますます「精神」が疲れてしまいかねませんから…。


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2015/03/07

振り出しに戻れ!歌や声は乗り越えるべき壁ではない!

自分の「呼吸=気持ち」を、
あくまで邪魔しないで、表現するための声を出していると、
声帯はどこまでも柔らかく、しなやかになり、
結果、高音やミックスボイスなんかはおまけでついてきます。

ミックスボイスが目的なんかになれば、本末転倒です。
あくまで声は表現の手段です。
声の表現の中心にあるのはいつも呼吸です。

だから、発声に悩んでいる暇があったら、
表現に、呼吸にもっと悩むべきです。
悩むと言っても、正しい呼吸法なんかに悩んではいけません。
呼吸法だって「手段」です。

呼吸法や良い声を聞かせるのではなく、
「表現をしたい」これが歌う、声を出す本当の動機ではないですか?
そしてそういう動機を忘れなかったひとにだけ、
呼吸法や良い声、良い発音、流れるような音程が与えられるのです。

根性論はいけません。
しかし、手段と目的を取り違えたテクニックを教えるのはもっと不遜だと思います。
私もその一員だったのですが、自戒を込めて…。
なぜなら、そんなテクニックは、
良い声で高い音がでて…感動はナシ。
となりかねないからです。

ここをレッスンでお伝えできるようになるまで随分かかりました。
(声楽のレッスンなら、大抵「息を流せ」「力を抜け」で終わってしまいます)

もっと自由に、楽しんで歌い、練習してください。
歌は、声は乗り越えるべき壁なんかではないのです。
特にあなたがまだアマチュアならです。
いや、プロでも駆け出しだと思うなら。
いや、ベテランでも一度振り出しに戻る勇気も必要かもしれません。


↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking
2015/03/06

「目的」「手段」を取り違えると「決してうまくならない」

みなさまこんにちは。ボイストレーナーの浜渦弘志です。

「目的」と「手段」

何においてもこれを取り違えると、良い結果は待っていませんよね。
私たちはなぜ歌や朗読などで声を出し、発音をするのでしょうか?
それはもちろん、自分の気持ち、想い、生き様などを表現するためでしょう。
それでは気持ちや想いは何に表れるか?
仕草や表情に・・・もちろんそうですが、それらは呼吸とシンクロしています。

つまり大げさではなく、呼吸=気持ちなのです。
つまり呼吸は表現そのものなのです。
だから呼吸が大切なのであって、決していい声を出すためではありません。
(そういう呼吸は結果として良い声を「副産物」として導きます)

その想いの溢れた呼吸を「声」や「歌」に表すのです。まさに「手段」なのです。
(声の他にも、楽器、書や絵画にあらわす人もいるでしょう)

しかし、そう簡単には呼吸に声は乗ってくれません。
まずどんな呼吸が良いのかわかりません。
そして何が良い呼吸かがわからない。
レッスンを受けても「息を流せ」とか「力を抜け」くらいしか言われない。
やり方はそのものは教えてくれない・・・

そうすると腹式呼吸が良い「らしい・・・」
鼻腔共鳴が良い「らしい・・・」
と、一般的に言われていることを、それが「なぜ」かは深く考えないまま、先生がそういうからと、
一生懸命いい声を出そうとする。高い声を、正しい発音をしようとしていく・・・

断言します。これじゃあ、絶対うまくならない。
高い音が出ても、その高音が音色や発音を破壊し、
正しい発音ができてもそれが声を硬くする、
正しい音程をだせても、それが。。。と、お互いが責め合ってしまいます


なぜか?いつしか手段であったはずの声や発音が、
「目的」にすり替わっているからです。いつの間にか
「想いを上回っている」のです。
これでは何のために歌っているかわかりません。

何年やってもダメな人は大抵このパターンです。真面目な人にとても多い。

良い声、正しい発音にとらわれることが、自然な声、美しい発音から離れていく。。。
それが論理的、物理的にはどういことかは、レッスンでお話しています。
(ケチっているのではありません。本にかけるほど簡単ではないのです。
でも、説明を聞いていただければ腑に落ちるはずです。)



↓ブログランキングに参加しています♪よろしければおねがいします♪
にほんブログ村 音楽ブログ ヴォーカルへ
FC2Blog Ranking