2015/04/25

【気持ちを込めてもその「イメージを出さないと」伝わらない!?】

みなさんこんにちは。
ボイストレーナーの浜渦です。

言葉の意味がわかっていても、たとえ気持ちがこもっていても、
その「イメージ」が「出せないと」相手の印象に残りません。
意味でなく「イメージ」です。ここが大切です。
それがないと意味は伝わっても、想いは伝わらないのです。

言葉のイメージは、たとえ言葉の意味がわからなくとも創ることのできる人もいます。
もちろんイメージが、あってもそれが出せなければ意味がありません。
(幼児はそこが素晴らしいのです。自由とか天才とか簡単に祭り上げている場合ではありません)

イメージを出せないと、
意味の分かる母国語の歌を、音程もリズムもよく取れているのに、感動がなくなる、なんてことになります(カラオケの点だけは良くなるかもしれませんが…)

逆に、イメージを出すことができれば、意味のよくわかっていない外国語の歌を感動的に歌うということもありえるわけです。
(実際あります)

このイメージの大きさこそ、スケールの大きさ。現代のボイトレは論理的であるのとを売りにしながら、そこが欠けているように思うのです。そこを私は危惧しています。

気持ちをどんなに頭に思ってもイメージを出せないと、気持ちを強めた分だけわざとらしくなったりします。

呼吸法とはそのイメージを膨らませ、それを最大限に出そうとするためにあるシステムであると思っています。
それが、発声にもとても良いだけなのです。
その呼吸ができれば、高音やミックスボイス自然と身につくのですから。

しかし「発声のための発声」をしている人が多いように思います。
これだとたとえ上手く歌えても、良い声がでても、ミックスボイスで高い音が出ようと、肝心要の想いを伝えることや、感動を伝えることができない。

イメージを出すことこそ、表現です。
イメージの大きさは表現の大きさです。
イメージは呼吸のある場所。そこを縦に横に奥行きを持たせる。
ある意味スポーツとです。
その場所がどこかお分かりなら、フォームの大切さがわかるはず。
フォームができていないと、
腹式呼吸も意味がないのですから…


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2015/04/22

嫌われることを恐れない…

嫌われることを恐れないためには、
ニコニコする?一生懸命空気を読む?
好かれる魔法のことばを研究する?他の人の意見に合わせる?
それもいいかも、しれませんが、いつまずっとそれをしていたら、いつか自分を見失ってしまうような気がするのです。
そうではなく、是非100%表現をすることを目指してみましょう。

100%表現して、喜ぶこと。
100%表現して、時にはイライラもする。
100%表現して、無機質にもなる。
100%表現して、怒ること。
喜びの度合いは、ちょっと喜ぶでも、普通に喜ぶでもその時々で良いのです。
100%表現して、10%喜ぶ、でもよいのです。
ちゃんと少しよろこぶ、
ちゃんとまあまあイライラするというか…。

ところが、まずいのは
10%表現してないのに、怒っている「感じ」だけ出ている、というもの…
顔はニコニコして、穏やかに見せつつ
「べつに怒ってないよ…」とかやってしまうと、相手になにも伝わらない。
いや、気持ちは伝わらないけど、なんだか嫌な感じだけ伝わる…

どうせなら、100%表現して、ちゃんと怒ってることを伝えたほうが、相手もきっと、感じ悪さでなく、怒っていることを汲み取ってくれるでしょう。
それでもし、それで嫌われても仕方ないじゃないですか(笑)

表現の強さと気持ちの種類や強さってまったくの別物、なんですよ。
表現できる、とは、空気をつくることであり、読むことではないのです。
それこそが「やり切ること」だと思っています。

その表現とはなにか?
どうやればそれを表に出せるのか?
この基礎の本質を、
それをレッスンを通じて、論理的にお渡ししてまいります。

怒ってる歌、悲しい歌、虚無的な歌、いろいろありますが、表現はどれも100%できるようにしておきたいですよね。

…でも私も嫌われることは本当のところでは怖いのだと思います。
怖くとも、やり切ったなら、表現しきったなら、あとは、どうにでもなれ!
なるようにしかなりませんて♪

追記。
100の表現ができるひとが、あえて50の表現をすると、残りの50がスケール、余裕となるでしょう。
初めから50なら?
それでは、いっぱいいっぱいですよね。


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2015/04/18

呼吸の「器」を育てよう

ボイストレーナーの浜渦です。

私はボイストレーナーという仕事を通じて、
より気持ちを、自分を伝える呼吸とはどんなものかを伝えています。
そしてそういう呼吸こそ、発声に適し、ジャンルを問わず、声は気持ちを伝える手段であることをお伝えしています。(かつては、いかに、より容易にボリュームの有る声、高音が出るか、上手く聴こえるか等のテクニックばかり追っており、本来の目的である、自分を表現する事をないがしろにしていた時期もあったかもしれません)

しかし、呼吸を豊かにする最大のメリットは、
「思考を落とし込む容れ物が大きくなること」
「あらゆる考え方に対する許容量が大きくなること」
ことかもしれません。

考え方が変わる、というより、それを受け入れる「器」が大きくなる。

どんなに合理的、また理想的、論理的、ポジティブな思考であっても、
それを受け入れる器が無くては、
文字通り「頭デッカチ」になるのではないかなと思うのです。

それを受け入れる器とは、単にイライラしないとか、怒らないとかいう、
心の余裕みたいなものではなく、
生き物として膨らんだ、
奥行き深さ広さのある呼吸だと思うのです。

呼吸を前後左右上下に膨らませ、あらゆる考えを受け入れる容量・幅を拡げ、
そこに考えを落とし込む。
容量が大きいと、「一つの考えに妄信的になったり」「すぐに理解できた気になる」危険性が少なくなると思うのです。
ところが、容量の少ない所にどれだけ座学だけで理想を詰め込んでも、
頭の中の理想と、身体という現実に乖離がおきてしまいかねないのでは?

昨今「自分を変えるセミナー」や「ひとの心を動かす心理学」みたいなものがもてはやされています。
それはそれで素晴らしいものもたくさん有ると思います。
しかし、それを受け入れる許容量を得る前に、考え方だけ詰め込むとなると、
その瞬間やまたしばらくは、頭の中に残って効果を発揮するかもしれませんが、
それは「時限付き」ではないでしょうか?

そうすると、考え方を変えても本当には身に付かず、飽きてしまい、
セミナーからセミナーへ、「理想の自分を求めて」延々と渡り歩いてしまいかねません。

たとえ考え方が合理的で理想的で、論理的だけれど容れ物が小さいのなら、
時にネガティブで、怒ることもあるし、ちょっと意地悪であっても
「容れ物が大きい方が豊かじゃないか」と思うのです。
…でなければひとを感動させるなんてそもそも無理じゃないでしょうか?

座学で考え方を変えるのもいいけれど、その考えを入れる容れ物を大きくしてこそ、本当に役に立つのではないかなと…






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