2015/06/26

「低音域」と「高音域」がきちんと出ないと「中音域」は出ない!?

こんにちは。
ボイストレーナーの浜渦です。

呼吸のことがわかってくれば、我々動物は、程度の差はあれ、

地声の低音か、ファルセットの高音が得意であることがわかってきます。
(地声が低音が得意で、ファルセットが高音が得意なことが多い、といったほうが良いかもしれませんが)

そして、普段話し声に使っている中音域はもっとも苦手であることが多いのです。
犬や猫なども、程度の差はありますが、
低音で唸る威嚇する、高音のファルセットとも言える発声で吠える、遠吠えする甘える・・・

しかし、私たちは本来苦手な「中音域」で話すことが多い。
これは「自然」より「普通」であることを望んでいることの証左かもしれません。
中音域は地声とファルセットがしっかりできて初めてきちんとなりうる音。
(そのあと地声を混ぜたまま、本当の高音域まで持っていくことができるようになります)
それができているわけでもないのに使っている中音域は
「中音域しか出ない発声」である可能性が高いのです。
しかもその中音域もすぐ喉が疲れてしまいます。

つまりは動物的でない発声をしているわけです。

しかしもっと私が危惧するのは、昨今特にですが、
中音域しか出ない発声に誤った鼻声とも言える共鳴を足して、
無理やり高音域が出るようにする発声法です。
これは大変危険です。
そして今、高い音が出るようになった人の中に、
このパターンの方がたくさんおられるのです。
これはボイトレ業界自体もここにはまってしまっているように感じます。

何が危険かと言いますと、後々声が痩せていく、
そして何よりこの発声(というより呼吸)では、まず感動の表現ができない、ということです。

長くプロで活躍している方は、単なるうまさより、むしろ、
感動をつくる能力が素晴らしいわけです。
感動とは呼吸の粘りです。
腹式呼吸やいろんな音色を得たくらいではそれは手に入りません。

うまさは飽きますが、感動は飽きません。

部屋に飾った「ただ綺麗な絵はいつしか壁紙と同化」し、存在すら忘れる・・・
しかしムンクの「叫び」やゴッホの「ひまわり」ならどうでしょう。

いつも長くなるので今日はこのあたりで・・・^^;
このあたりはまた解説しますね。


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2015/06/13

「相手を受け入れること」とは

ボイストレーナーの浜渦です。

「まず相手を受け入れましょう」

よく言われることですよね。
でも、どういうことでしょう?

相手の言うことを理解することもそうでしょうし、
相手の言うことを呑むのもそうかもしれません。

しかし、一番大切なのは、

相手の意見よりもまず、
「相手のテンションを受け入れること」
同じテンションで、同じ呼吸をすること。
そしてそれを共有すること。

私はそう思います。

相手が烈火のごとく怒っていたら、
謝るにせよ、反論するにせよ、一旦同じテンションに持って行くと、相手は結構納得するものです。
…それを「なあなあ」にしたり、ただ謝って「もう謝ったでしょ!」とかやるとどうなるか…。
どっちが正しいは置いておいて、相手を納得させて、こちらも損はないはずです。

人前に立つ人や、上に立つものならなおさら必要だと思います。
歌い手や政治家なんて特に。

いや、全てのひとに必要だと思うんです。
そういう人間こそが、自分の意見を相手に伝え、正解を押し付けることなく「納得」を得られるんじゃないかなあと。

一見議論してるようで「冷静に相手を無視しながら」ただ自分の意見を通そうとする…
…もっとも、人前に立つのに向いていないんちゃうかなー?
でもそんな人、多くない?(^^;;

…と、レッスンしてて思ったのでした。


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2015/06/04

「ひと」という楽器が輝きを放つ時

世の中で唯一成長する楽器、それが声を鳴らす人間という箱、楽器本体だと思います。
それはこの世で一番細かな調整ができる楽器…
ただ、気分次第で萎えてしまう楽器…
調整があまりにも繊細で、頭デッカチにはなかなか扱えない楽器…

どんな時に人間という楽器は、素晴らしいトランペットのように輝き、膨らむのでしょうか?

それは、とても怖れを感じた時。

と言っても「うまくいかなかったらどうしよう」とか
「間違えたらどうしよう」なんて、
まだ起こってない「失敗に対する怖れ」ではありません。
そんなちっぽけな怖れなんか吹き飛ぶような、まさに命の危険が迫ってくるような怖れです。

「サバンナにひとり生身で放り投げられた」
「いま、まさに隕石が落ちてきた」

変な例えですが、そんな、いま、まさに死を意識する怖れ。そんな怖れを想像すること。

死を意識するということは、まさに生きていることを感じているときではないでしょうか?
人間この時に多くの人が素晴らしい楽器になるはずです。
息は乱れるかもしれません。しかしクリアな興奮した呼吸にきっとなる。
そんな時にどんな呼吸の音がするか?
どんなフォームからそんな呼吸が生まれたかを感じ、覚える。

そしてもしそれが「ドッキリ」だとバラされた時、一気に疲れが出て、息はゼーゼー言うことでしょう。

そのあるはずもないようなシチュエーションをあたかも本当のように作り出し、時に喜びや悲しみに変え、
終わった時には、一気に疲れ汗も吹き出す…
それが舞台であり、歌い手、役者の大きな勤めではないでしょうか?


それを、言葉は悪いかもしれませんが、安全な「客席」という場にいるみなさんに疑似体験してもらい、ハラハラしていただく。時に参加していただく
その代わり、お金をいただいたり、CDを買っていただいたり、まさに客席を埋めていただいたり…

それほど、舞台人は独りで危険を請け負う。孤独なんです。
(でも、役者や歌手でなくても、誰もが何かの舞台に生きているとすれは、やはり人は孤独なのでしょう)

しかし、平和な中で「冒険と死と生」を感じ、表現することはまた、
生きていることを心の底から実感できる、歓喜の時間でもあるのです


…だからみんな悩み、苦しみ、でもやめられないんじゃないかな~。
…私は、2015年6月現在の私は、そんな風に思っています。


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