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呼吸の「器」を育てよう

ボイストレーナーの浜渦です。

私はボイストレーナーという仕事を通じて、
より気持ちを、自分を伝える呼吸とはどんなものかを伝えています。
そしてそういう呼吸こそ、発声に適し、ジャンルを問わず、声は気持ちを伝える手段であることをお伝えしています。(かつては、いかに、より容易にボリュームの有る声、高音が出るか、上手く聴こえるか等のテクニックばかり追っており、本来の目的である、自分を表現する事をないがしろにしていた時期もあったかもしれません)

しかし、呼吸を豊かにする最大のメリットは、
「思考を落とし込む容れ物が大きくなること」
「あらゆる考え方に対する許容量が大きくなること」
ことかもしれません。

考え方が変わる、というより、それを受け入れる「器」が大きくなる。

どんなに合理的、また理想的、論理的、ポジティブな思考であっても、
それを受け入れる器が無くては、
文字通り「頭デッカチ」になるのではないかなと思うのです。

それを受け入れる器とは、単にイライラしないとか、怒らないとかいう、
心の余裕みたいなものではなく、
生き物として膨らんだ、
奥行き深さ広さのある呼吸だと思うのです。

呼吸を前後左右上下に膨らませ、あらゆる考えを受け入れる容量・幅を拡げ、
そこに考えを落とし込む。
容量が大きいと、「一つの考えに妄信的になったり」「すぐに理解できた気になる」危険性が少なくなると思うのです。
ところが、容量の少ない所にどれだけ座学だけで理想を詰め込んでも、
頭の中の理想と、身体という現実に乖離がおきてしまいかねないのでは?

昨今「自分を変えるセミナー」や「ひとの心を動かす心理学」みたいなものがもてはやされています。
それはそれで素晴らしいものもたくさん有ると思います。
しかし、それを受け入れる許容量を得る前に、考え方だけ詰め込むとなると、
その瞬間やまたしばらくは、頭の中に残って効果を発揮するかもしれませんが、
それは「時限付き」ではないでしょうか?

そうすると、考え方を変えても本当には身に付かず、飽きてしまい、
セミナーからセミナーへ、「理想の自分を求めて」延々と渡り歩いてしまいかねません。

たとえ考え方が合理的で理想的で、論理的だけれど容れ物が小さいのなら、
時にネガティブで、怒ることもあるし、ちょっと意地悪であっても
「容れ物が大きい方が豊かじゃないか」と思うのです。
…でなければひとを感動させるなんてそもそも無理じゃないでしょうか?

座学で考え方を変えるのもいいけれど、その考えを入れる容れ物を大きくしてこそ、本当に役に立つのではないかなと…




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