2015/08/05

「違う意見」でも一緒に何かを作りたくなる。それが人間(=芸術)だと思う

私ごときが、世の中の趨勢や動向に対し、何か意見を言うほどの実力はないのかもしれませんが、
昨今の全体的な「異なるものの排除」

これに対して少し思うままに。。。

「同じ意見」という理由だけで共有できるものって少ないのかもしれない。
全く違う意見でも「このひととなら何か一緒にやってみたい」ということもある。
同じ意見でも一緒に何か作りたいと思えない人も、実際多いだろう。

音楽家や役者さんで、本気で「人間を描き出したい」と思ったことのある人なら、
もしかすると「何を当然のことを」と、思われるかもしれない。

いや、もっと言えば「音楽家」だなんて気取ったことを言わなくても、
人間ならば「違う意見のものとの共有」
・・・それは自然なことなのかもしれない。

逆に意見が同じだけで集まることに怖さを感じているひとも多いのではないだろうか?
違う意見のひとと何かを作るには、
一度真正面からぶつかる、またじっくりとことん話し合う必要がある。
それは大変なことだし、面倒だし、
何より、
「疎外される・のけ者にされる」
そういう怖さがある。

しかし、それが権力者だったらどうだろうか?
臆病で、自分の側近は同じ意見や保身に走るものばかり。
相手の意見には答えているようで
「共有する気は全くない」
主義主張を超えて解り合えるもの、
いや、分かり合えなくとも、そこに向かう第一歩となり得るもの。
それが芸術すなわち人間だと思う。

芸術とは、立つ・座る、前へ行く・後ろへ行く、右へ行く・左へ行く・・・
あらゆるものの、
「葛藤、身を引き裂かれる思いを体現するもの」
・・・私はそう思うから。

悪く言えば、究極の優柔不断かもしれないけれど(笑)
その葛藤に答えはないでしょう。それは苦しいことかもしれません。
だからこそ、共有でもきるのだと思います^^

※ここに書いたことは、特定の主義主張・宗教、右・左さしているものではありません。
全体的にそういう空気になっていると思い書いたものです。


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