昨日、私の父の言葉を記しました
「自分の為に練習してるうちは上手くならんぞ・・・」
ごめんなさい。「練習」ではなく「歌っているうち」
だったかもしれません。
でも同じことですが。
では、私なりの解釈を・・・
たとえば、ボールを相手に向かって投げるとき、
いや、絶対落としてはいけない、
とても大切な物を、相手に向かって投げなければならないとき、
当然、まず、どのように投げれば、相手が受け取りやすいかを考えますよね。
さらに言えば、それは、相手が受けとる姿を想像しなければならない、
ということになります。
それにより、
下からふわっと投げるのか、
上からビシッと投げるのか、
そのほかいろんなことが見えてきます。
工夫すれば
「あえて取りにくいけど、とっても大切なので、ダイビングしてでも取りたくなるボール」
を、投げることも可能になってくるでしょう。
もちろん、投げたいのは私。でも受けとる人がいて、初めて成立することです。
唄は、声という「息」を、聞いてくれる大切な人に、かなり一方的に投げる
[キャッチボール]です。
相手の受け止める姿が見えて、そして受け止めてもらえたとき、
相手はきっと喜び、また感動してくれるでしょう。
そして、こんどは拍手という手段をもって、投げ返してくれるかもしれません。
自分の為にではない…とは、きっとそのことだと私は思っていますきっと父の言った「うまい」
は「巧い」ではないのでしょう。
「人を感動させること」
と言う意味で「うまい」といったのだと思います。
彼は、きっともう、私にそう言った事を、
忘れてしまっているでしょうが・・・
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全ての、”かかわる”に、共通する事ですもの。
人は1人では生きていけない・・なんて、よく歌にもありますが、誰かがいての自分ですから、自分の存在も、誰かにとっては大切なものなんですよね。生きていくって、その重なり合いだから、”愛”なんですよ〜。
先日の言葉の意味、知ってたはずなのに、忘れてた気がしました。再確認できてよかったです。
さあて、出かけますか,フラウエン。練習場所にたどり着くのに小一時間かかるので・・。今日は、大魔神先生来られるでしょうか。